通勤電車を途中で降りて
熱田さん(熱田神宮)へ参拝してきました。
電車車中で、イヤホンから音楽を適当に聞いていたら
…不意に胸を突く曲が流れて…
思わず涙が溢れてきてしまったんですよね…
(その曲をYouTubeで貼ろうと思ったけれど、どうもうまくできない…今回は神様に止められているみたいなので、曲は私だけの心に留めておきますね。)
で、不意に神宮前の駅に着いて
そのまま降りて
少し凛と冷たい空気を感じながら
朝の熱田さんを歩きました。
本殿への参拝を済ませ、
…こんな女性的な心持ちの時にはやはり
瀬織津姫様(一之御前神社)にご挨拶に行きます…
一之御前神社ってとても小さくて可愛らしいのですが
…扉はしっかりと閉められて
その扉奥の祠の扉もびっちりと閉まり…
きっと御神体をしっかりと
護られているのだと思います。
そう、これこそが
「女性の扱われ方」。
祠は「主人」
「女神(御神体)」を全身全霊で護り抜く…
だからこそ「女神は一糸まとわぬ姿で居られる」のです。
女神って、そう
「一糸纏わぬ姿」なんですよね、本来。
だから「奥に潜んでいる」んだし、
片割れを含む多くの人に護られているから
「何も纏う必要がない」
明け透けで
我儘で
荒々しくて…
そして、
凛として
素直で
…本質を知る…
そのような主人に出会って居ないのなら
自身の中の男性性に護られ
女性は(現実的には)一人で立ち振る舞う…ことになるのです。
まず、
女性がご自身の女性性を開かせて
女神として自覚を持つ。
(自尊を養い、自愛でき、ゆとりの微笑みを携え、香しく立ち振る舞う。この自愛や振る舞いが男性性(行動)の活用
すると、男性は
自身の中の女性性(感受力)を活かし
「その女神を見つける(感受)」
その優美で華やかな立ち振る舞い(綺麗に咲く花)に
男性性は引き寄せられ、出逢うのです。
涙が流せたことで
少し気持ちが落ち着きました。
感情という激しい炎は
涙で消せるんですね…
瀬織津姫様からは…労いと
温かなお言葉(未来への期待)をいただけました。
(すっと入ってきて、すぅっと消えていってしまいました)
私はもう、自身の思いを
隠すことはしません。
だからこのように
自分の今の感情のままに
ここで表現しています。
これはね…「あなたも本当はこんな風に思いのままに生きていていいんですよ」という
気づいてもらえたらなぁ…という願い、でもあります。
何にも、誰にも、遠慮しないで
あなたはどんな感情に襲われ、露わになったとしても
愛されていますよ。大丈夫。
あなたの陽の部分だけでなく、
陰の部分も、全て
あなたは愛おしい存在ですから。
どうか、そんな在り方を気づいて
知って、受け容れていて欲しい…
そう、これは
私からの一方的なお願い、です。
けれど、このように生きられるようになれるとね
あなたの世界は愛で溢れるようになれるから…
私は自分の感情の波に揺られることも
周りの愛する人たちから護られて
愛されている実感を味わう、
そんな世界に住んでいます。
あなたもそうなれるから。