昨日、ふと降りてきた言葉、
「分離を感じる喜び、ひとつを味わう歓び」
漢字もこの字だなぁ〜って思って
こうしてメモしていたのですが、
気になって、調べてみたら
こんな風に紹介されていました。
■喜び
最も一般的な「喜ぶ」という字の語源は、太鼓を打って、歌い踊ることで神の機嫌を良くさせることだそうだ。他者から何らかの物や行為を与えられてよろこぶという外発的な感情を表している。要するに「喜ぶ」には、何かを「頂いた」という前提が必要なのである。
■歓び
「歓」は、古代中国の鳥占いが関係しており、願いが叶った時の感情を表している。つまり「歓」を使うときは、前提として願望がまず無いとならないという事になる。「歓び」とは、願いが叶ってうれしいと言う意味なのだ。
喜びは「誰か」がいて、その人から与えられた「喜び」
歓びは「一人でも」願いが叶えば「歓び」で、
それは「もともと願っている何かがあって」のこと、
のようですね。
…それでね、この言葉が降りてきたきっかけがね
先日ブログでも書いたけど
その彼に「私の本音」として
自身の感情を、下から突き上げてくるままに
降りてくる言葉を、降りてくるままに
突きつけています…
この毒(愛)は、
毒針を指している私自身も、痛いです。
私自身(きっとエゴと呼ばれる部分)は
どうして忙しい彼にそんな風に自分の本音を
突きつけなくてはならないのか?
どうしてもう少し待てないのか?と
思う部分もあるのですが…
下から突き上げる女神の怒号や
上から降りてくる神様(私自神)からの声に
したがって伝えていくことこそが
私の幸せへと繋がるのだと信じているし、
彼がツインレイであるなら
彼の幸せもまた、その声に従うままに
幸せへと導かれていくことなのだと思うのです。
て事で、そんな風に追い込んでいた彼から
昨日ふわっとお返事が来て…
安堵したのもつかの間、
そのお誕生日メッセージを兼ねたそれに、
「魅力的によりなって
いいご縁を大切にお互い生きていこう。」
という単語、
え?お互い…
と、普段ならそんな単語一つに
戸惑うこともないはずなのに
なぜか…ふと寂しく感じて、
んん?なんで?
って思ったんです。
アタマでかき消すこともきっとできるのだろうけれど、
今の私は「私に感じる違和感、寂しさなどの感情は
一つ一つ丁寧に感じていてあげたい」って
思っているので、
まずはその寂しさを味わって…
しばらくしてお昼寝して、
その目覚めのまどろみに降りて来たのが
今日のタイトルでもあるあの言葉、でした。
「分離を感じる喜び、ひとつを味わう歓び」
そう、「お互い」と表現するとね
各々一人一人、それぞれ、のような
お互いを一人として尊重している、けれど
その分「分離」を感じるんですよね。
なんとなく「そばにいない」「遠くにいる」という感覚、
しかも「それぞれお互いの人生」自体も
重ならない、平行線のままの…
って感覚をその時直感で感じてしまったんだと思います。
宙よみ的な考察を加えるとね、
今って「魚座海王星時代」なのです…長期的なので「時代」って感じ。
海王星は地球からかなぁ〜〜〜〜り離れた遠い場所の天体なので
運行もとても遅く、
一つのサイン(魚座)を約14年かけて移動していきます。
時折逆行しているから、一時的に水瓶座に戻ることも
ありますが、大きな一括りで見た時には
ざっくりと2011年4月〜2026年1月まで
滞在しているようです。
「全てと溶け合い、ひとつを感じていたい…と夢見る」
今は逆行期間中なので、その傾向がさらに
「非現実的でぼんやり…ファンタジーな感覚」になりやすく、
ぼぉ〜んやりとそんな夢見心地の中の世界に
私たちは漂っている、って感じです。
(とは言え、山羊座(現実的)に土星(努力)や冥王星(徹底)が鎮座しているので、日々ず〜っとぼぉーーーー…っとしている訳ではないですしね♪
夢は大きく持っていていい♪って感じでしょうか✨)
魚座って12星座で一番最後で
ハウス的には第12ハウス、な訳です。
この「全てと溶け合う」って見えない世界(集合無意識)であり、
いわゆるワンネスという感覚
https://ejje.weblio.jp/content/oneness こちらのサイトから画像お借りしました。
現世(地球)での命の時間を終えて、
魂の光に戻る感覚…
元々魂の頃、全ては「ひとつ(の光)」だった、のだと
何かで聞いたことがあります。
その「ひとつ」の頃には
ただただ至福感を味わっている、と。
するとね…退屈を感じるんですって。
悲しみも悔しさも刺激もない…
だからそんな体験を味わいたくて
地球に降りてくる、
その時その体験を味わえるように
わざわざ自分に「制限」を設定してくる…
そんな設定をよめるのが西洋占星術でいうなら
ネイタルチャート(出生天空図)なのですね。
今、私たちはそんな「制限」を自らかけて
この地球というフィールドで
悲しみや苦しみや悔しさや刺激を味わいつつ
生きている…真っ最中✨
その醍醐味のひとつが「分離(自分と他人という隔たり)」なんですよね。
で、そんな分離体験を十分味わい切ると
また魂の光(ひとつ)へ戻っていく…
「ひとつ」という感覚は…至福、なんですねぇ
そこを目指していく、私たち…
どんなに好きなあの人とも
どう頑張っても「一人」にはなれません。
けれど、その分離こそが
「あの人を感じるための設定」で、
分離しているからこそ
「あの人の声や言葉や思いや温もりを感じられる」
私の耳で、心で、手や唇や肌などカラダ(五感)で、波動や熱で…
それは「喜び」でしょ?
相手がいてくれるから、
私という「内から」でなく「外発的」ですよね。
で、きっと
「あの人と本当はひとつだったんだ…」って気づいたら、
それは感覚的なもの…繋がりや、インスピレーションや、
神様に導かれるその過程や未来や、そして今というこの時…
そう、実は「孤独だったこと」はなかったんだって
いつもみんなと繋がっていて
それは彼とも繋がっていて、
それぞれが自分自身を生きる時にも
相手を想い、感じ、信頼している…
「あぁ、彼はきっと今、彼の人生を思いきり味わって生きているんだろうなぁ…
きっと幸せだろうなぁ…」って
彼を、彼の人生を信頼しているから、
だからいつでも、私たちは「ひとつ」だった…
そう気づくことができる
私の内の中からの気づき…
この気づきは「彼とひとつで在りたい」私の願いが
叶っていると同意、だよね♪
「ひとつを味わう歓び」
って、まとめてたら
ふふ(*´ω`*)寂しくなくなった〜✨