起きがけに降りてきたので
シェアします~(´ω`)✨
とある番組で、神社に祀られる神様について
こんな解説をされていました。
「いろんな神社で同じ神様を祀られているのですが、
それは何故ですか?(どうしてそーいうことが可能なのか?)」
「『火』をイメージしてほしいのですが、
火って分けても無くならず、同じだけの明るさ、
エネルギーでその力は分けられますよね?
神様の力も同じなんです」と。
あー、ものすごくわかりやすーーーっい(´ω`)✨って思いません?
私、これ神様だけでなく「エネルギー全て」に通じると思いました。
人の魂って、その人が命を全うし、
カラダという器を無くした後って
光に還っていると私は信じています。
光って「一つ」という塊ではなく、
無限に拡がっていきますよね。
神様はこういう拡がりではなく、
(そうだと力が集約されず、発揮できないから)
「火」という塊となることで「力を集約させて宿した魂」として
神社に祀られることができ、
その力を発揮させることができているのかもしれません。
(※火とは、あくまで私達が理解しやすいための表現、比喩です)
エネルギーという意味では「お金」も「愛」も「情熱」も全て
制限はなく、ただ拡がりをなすものなんだと思います。
「お金」は特に物質的だから制限を感じやすいと思いますが、
「お金はエネルギー」という言葉を聞いたことがありますよね?
「お金はエネルギー」だと腑に落ちている
人々のところにはお金が潤沢に廻ってきていて、
だから「お金は無くならないどころか、繁栄し続けていくもの」
だと信じているから、
価格設定にも妥協(遠慮)がないし、
受け取ることにも遠慮がない。
(お金に関してはまた別の機会に書きます✨)
前述に戻りますが
「人はカラダの寿命を終えた時、制限がなくなります」とは、
亡くなった方というのは、
いつでも「ここ」にいてくださっている、ということでもあります。
「あなたがそれを信じたら」
量子物理学的に言えば「観測問題」です。
「認識した時にその物質は現れる」。
人は大切にしていた愛しい人を亡くした時、
「もう会えない、
もう触れられない、
もう声が聞けない、
もう笑い合えない…」
と悲痛に感じると思います。
だからこそ生きている(カラダのある)内に
一分一秒でも多く「その人を感じる(スキンシップ)」
ことってとても大切なことだと思います。
亡くなったその人は
「肉体は亡くなっても、魂は生き続けています」し、
「光に還った(制限が無くなった)から
一人のひとのところに留まらずとも、
皆のところに同時にいてくれている」と思うから、
きっとあなたの側にいてくれているはず。
ずっとあなたを見守っていてくれているはず。
どうか遠慮せずに声をかけて独占してください
(生きている間ってつい「忙しいかなぁ?」って遠慮しちゃってませんか?そんな遠慮は不要になります(笑))
辛く悲しい時に
その人の声が聴きたくなったら、
その人のぬくもりを感じたくなったら、
ぜひその人に話しかけてみてください(心の中でいいから)
するとね、きっとその人は応えてくれますよ♪
あなたの中にその人と過ごした記憶があるから、
その人の声を聴く※ことができるはず。
その言葉を受け取ることで心が温かさ(ぬくもり)を感じるはず。
(※聴くとは心で聴くこと(=心理的)。聞くは耳から聞くこと(=物理的))
あなたはその人を「認識できると信じる」ことで、
あなたに向けてその人が伝えてくれる言葉を受け取ることができます。
私が実家で「ご先祖様の声」や「父、祖父母の声」を
聴くのも、まさにこんな感じです。
「ご先祖様」は生前を知らないから
「エネルギー」だけ感じますけど、
その感じるエネルギーが「怒り」なのか
「感謝」なのかはわかります。
(対面する人が黙っていても「怒っているのか」「喜んでいるのか」察することができますよね?それと一緒です)
改めて書きますね。
今、とても好きな人がいるのなら
その人との時間を思いっきり味わって
たくさん「記憶」を残してくださいね✨
(脳ミソはその為のモノです♪)
私達には「寿命」という「肉体の時間制限」がありますから。
けれど「魂には時間制限はない」から、
心の中で会うことになった時に
「よりリアルにその人を感じることができるように」
その人と過ごす「今」という時間を噛み締めて、
丁寧に味わっていてください✨
その人を感じたその時に
会いたいその人はきっと微笑んで
「ここ」にいてくれているから✨