宙(そら)から私をよむ~出生天空図から自分らしさを知る〜

宙よみ(西洋占星術ジオセントリック・ヘリオセントリック双方視点のリーディング)と、タロット・オラクルカードリーディングから【あなた自身を知り、今をクリエイトしていくヒント】のシェアとmiwacoの元に降りてくる言葉(天の智慧、女神の声)のシェアをしています。

サバイバーの記憶(私の抗がん剤治療の体験談と、今の思い)

昨夜UPしたこちらのブログのコメントに

dowsorayomi.hatenablog.com

 いつもコメントをくださるりんごさんから

 ご自身のお母さんのことについて

心情を綴ってくださっていました。

(詳しくはこのブログのコメント欄でやり取りを遡ってみてくださいね)

 
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いつもなら私もコメント欄を通して

りんごさんと会話を続けるのだけれど…

 

今回は、私も経験した「抗がん剤治療」について

少し触れたいなぁ、

だったら、多くの人にシェアした方がいいかなぁ…

 

きっとりんごさんみたいに

「患者を支える、ご家族の方」や

「実際、今抗がん剤治療を受けてらっしゃる

患者さん」や、もしかしたら

「今、告知を受けて…これからそんな現実と

闘っていかれる患者さん」

のお気持ちに寄り添えられるのかもしれない

…と思ったので

 

ブログ記事として綴らせていただきますね。

(今回もかなりの長文です、すみません💦いつも読んでくださってありがとうございます✨)

 

 

 

私が悪性リンパ腫を発症したのは

1986年7月(13歳9ヶ月)でした。

その当時はまだ「インフォームドコンセント

(医師と患者との十分な情報を得た(伝えられた)上での合意:Wikipedia より)

という言葉すら一般的でもなかったし

小児がんとしての認識すら…薄かった、

「ガンを患うのは60歳以上の男性が罹るもの」

みたいな風潮があった、そんな時代に

突然愛知県の田舎町に住む14歳になる女の子

(私(笑))が発症した、みたいな…

ちょっと当時ではレアケースとして

受け取られていたようでした。

 

実際、私が「悪性リンパ腫だった」と

病名を聞いたのは発症から8年後くらい…

抗がん剤治療も終えて、年2度の定期検診が

「そろそろ年1度にしようか」って

話になったくらいの時期で、

私のピークの闘病時を知る医師たちは

既にどなたも病院には在籍されず、

その時の主治医(堀部先生)は

後任を引き継がれた医師でした。

 

 

発病前…発病の半年前に微熱が続き、

それを「風邪」と診断された、くらいで

他には特に何かがあったわけではありませんでした。

 

発病に気づいた時…母が職場の社員旅行に出かけ

家を3日ほど留守をすることになったこの時、

母が作り置きのカレーを用意してくれ

家族皆で連日食していた…

母が帰ってきて、その翌日、

 

私は目覚めると、首の左側がいきなり腫れ

耳の下から肩までが繋がってしまったかのような

そんな感覚に驚いていました…。

 

これが私の発病の時の状態…

この日の夜に地元の病院を受診し、

ベッド待ちをして数日後に入院、そのまま

その首の違和感の部分を局部麻酔の手術で切除

(細胞検査)…地元の病院では対応しきれない

とのことで名大病院のベッド待ちをし、

数日後に転院…

 

その時には既に

左肺いっぱいと右肺3分の1くらいまで

水が溜まっていて「肺炎の症状」という告知を受け

「食事をすることで肺に水が

溜まるかもしれないので」

と、絶食、それに伴いIVH(心臓の太い血管に直接管を通す点滴)を付け様子を見…

私の心臓に雑音がみられたので、

10日ほどでIVHを抜き、

重湯から徐々に食事を開始…同時に抗がん剤治療が

スタートしたように記憶しています。

 

…実は、私もあまり記憶がないんですよ、

当時のこと…

りんごさんのお母さんもそうだったようですが、

人ってあんまりにも辛い体験をすると

「忘れる」のかもしれません…

ほんと、りんごさんのおっしゃるように

「防衛本能」って感じですよね。

 

そう、人って忘れることができるから

今を強く生きていけるのかもしれませんよね…

 

抗がん剤は「服用(錠剤)」と「静脈注射」、

「点滴」(使用した薬の名前は控えます)。

私は粉薬は一切飲めなくて、全て錠剤か点滴に

していただきました。

錠剤すら「匂いが気になった」ので、

数粒ずつをオブラートに包んで飲んでいました。

この毎食ごとの薬の量の多かったこと

…何十粒にも及ぶその薬の量は

(飲み干すお水の量も含めると)一回の食事量を

上回るんじゃ?ってくらいで💦

飲み終える頃にはお腹が

はちきれそうになるくらい(笑)

あまりに辛くて飲みきれなくて

…精神的にも追い込まれていたから

(思春期だったし、翌年の受験、高校進学などの悩みも同時に抱えていたから…キツかったよね)

飲みきれなかった分を点滴に

置き換えてくださったことがたまにありましたね。

 

静脈注射も…もともと血管が細い上に、

治療中の貧血でさらに血管が出にくい…

割と肉の乗っている私の腕(笑)では

血管が見つからない!と当時の主治医を困らせ、

いつも手の甲で薬を流してもらって…どんどん

「使える血管がなくなる」という自体に💦

 

薬が入ってくると、全身を回ってくる感覚と

鼻から直接くる薬の匂い…この匂いが刺激になり

すぐに嘔吐、身体中から絞り出すように

胃の中のもの全てを出そうとするから

治療に慣れてきた頃には

「事前に水分をたくさん摂っておいて、

吐くことを楽にしよう!」っていう知恵が

湧いてきたくらい(笑)

(当時の私の定番は「リプトンのレモンティ」でしたね…だから今はあまり飲む機会もない、その当時のことを思い出しちゃうのかもね)

 

たまに劇薬っぽい薬(新薬とか??)だと

血管を通しているときに「熱さ」や

「ピリつく痛み」も感じていました。

 

さっきも書いたけれど、りんごさんのお母さんの

ように抗がん剤の治療の記憶って…これくらい

のことしか覚えていないなぁ…

というかね、この当時は「治療=日常」だったから

その「辛さ」「苦しさ」にいちいちフォーカスする

余裕もなくて、ただただ

「日々や時間が過ぎていくだけ」って

感覚だったと思います。

きっと治療を受けている患者自身よりも

「その状況を側から見守ることしかできない、と

感じてらっしゃる見守っている人々

(家族や友人、医療スタッフなど)」の方が

辛くキツく受け取ってらっしゃるのではないかなぁ…

 

私は「血液のガン」だったからか、検査として

「ルンバール」や「マルク」など

骨髄検査のような痛い検査の経験や

アイソトープとか…専門家ではないから

うまく説明できないけれど

色々な経験をあの病気を通して

させてもらったなぁって、今は思っています。

 

そして、何よりも感じるのは

その私の経験は、今の医療の下支え

(今に活きるデータ)になった」ことや

「今、その治療を受けている方やこれから受ける方に

私が生きて元気でいること自体が

希望になれている」こと、

こうして寄り添えることができること、

共感することができること

 

そう在れる自分を誇りに思います…

「あの時、命を繋げてもらえて、本当によかった」

そう素直に思えます。

ただただ、あの頃の医療スタッフのみなさんや

支えてくれた家族、友人たち、

学校関係者のみなさん…

すべての人に感謝しかありません。

 

そして…もし私がその当時、命を終えていたとしても

同じように感謝しか湧いていなかっただろうなぁって

思います。

闘病中も「生きている実感」を味わい尽くしていたと

思いますね…今思うと。

 

以前、私の友人の佐野医師の本をご紹介しましたが、

dowsorayomi.hatenablog.com

こそまさに「多くのガン患者さんと向き合う中で

最先端の医療の提供、だけでなく

そもそも医療を受けなくてはならなくなる前に

生活を変えることで

…未病の段階でなんとかならないか」

と気づかれ、行動を起こされてらっしゃる方で、

 

ご自身を最先端の医療に置きつつ

「未病へのアプローチ

(病気にならない生活、食事などの提案、紹介)」

「身体により優しい医療

(漢方や気功、西洋医学だけでなく

東洋医学との併用)」

など幅広く見渡すような活動を

されてらっしゃいます。

dr-masa.com

 

彼のような医師が今後の医療の最先端を担われるのは

とても心強く思いませんか?

私は彼を友人として見つめてきて、

真摯にご自身の医師としての在り方に向き合い

常にブラッシュアップを志し、実際に動き

新たなチャレンジを取り組みづつけて

いらっしゃる姿から

大変信頼を置いていますし、尊敬もしていますし、

日本の医療に安心もしています。

 

既に彼は日本のみならず海外でも

医療を目指す、携わる多くの人々から

教えを乞われる立場になってらっしゃるのだと

思うのですが、

今後もますます知識と経験を

磨かれていかれることと思います。

 

このような医師がいるのですから、そして

佐野医師の背中を追い、自身の知識や技術を

磨いていこうとされる志高い医師や

方向性を同じくする人々(セラピストや

生活をよりよくするためのサポーター、

サプリメント開発者など…)が

今後も多く排出されていかれると信じています。

 

そう、だからっていうのもアレだけれど

今蔓延しているコロナウイルスのことも

私的にはあまりネガティブには

捉えていないんですよ♪

dowsorayomi.hatenablog.com

 

 

いつも以上に長いブログになっていますが💦

ごめんねぇ〜〜〜〜

最後に…りんごさんにコメント返し、

させてくださいね。

 

りんごさんへ…

りんごさんのお母さんは

「食事療法にあまり興味を示さず…」って

あったけれど…私ね、この文章読んでいた時に

「りんごさんに(金銭的な)負担をかけたくない」

って聴こえてきたのね…

(エネルギーを感じた、って感じかなぁ…)

きっとこれ、お母さんの本音、なんだと思ったよ。

 

もしかしたらりんごさんのお母さん

「ご自身が食べたいものをチョイスしている」

というよりは

「りんごさんが用意してくれるものを

(喜んで)食べている」または

「りんごさんと一緒に食べたら、

りんごさんが喜ぶもの食べたがっている」

んじゃないかなぁ…

 

お母さんりんごさんと一緒に過ごす、

今というこの時間を楽しむことに

全力を注いでらっしゃるんだと感じました。

 

食事療法の取り入れ方は様々だと思うし

直接すぐに改善することでもない、というか

とてもコツコツ時間をかけて

積み重ねていくことでもあるから

その分、費用を気にされるのかもしれない…

今の治療に併用して、ってことになるから…

抗がん剤の治療費だけでも

かなりの負担があると思うしね。

 

だから選択は自由だし、無理はしないほうが

いいと思うよ(*´ω`*)

 

例えば、だけれど…

(もうすでに取り入れてらっしゃるかもだけれど)

「お野菜やお肉などは輸入のものでなく、

地場産地のものを選ぶ」

(輸入のための防腐剤、農薬が軽減されるから。それし地場産地の方がやお手頃価格ってこともあるしね♪)

「白米を玄米や五穀米にしてみる」

(栄養価が高いよ♪)

「身体を冷やさないもの、温めるものを選ぶ」

(アイスクリームとかはたまのご褒美にして、お白湯を寝起きにゆっくり飲む、とか、根菜類で作るおかずを選ぶ、とか、鍋物とかね♪…まずは免疫力をあげる=基礎体温をあげることから♪もちろん「その時のご本人の快適さを最優先」で、「冷たいものを欲する」時にはその身体からの声に答えてあげてね♪

「足りない栄養素はサプリメントで補う」

 

で、何よりもまずは

「お母さんとりんごさんが

一緒に楽しく食事をすること♪」

これが一番のお薬、だよね(*´ω`*)

それでいいと思うよ♪

(散々上記でお節介してみましたが(笑))

 

日々を味わい切るように

幸せな時間を紡いでいこう、

選んでいこう、重ねていこうね〜

(*´ω`)ノシ(//∇//)✨

いつもありがとうね♪

 

 

 

 

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